ちむどんどん&ちむわさわさー
NHKの連続テレビ小説「ちむどんどん」を観ていると、本土復帰前後のことを思い出す。
今年は、沖縄が本土復帰して50周年である。
最近、その番組に刺激されて、自分の幼少期、中学生時代の様々なシーンが甦る。
その番組で、横浜の鶴見から沖縄に公衆電話に10円玉を入れながら、電話するシーンが度々出てくる。
確かにあの頃は、僕の部落でも電話があるのは公共的な役場、学校、農協のみで、個人宅に電話は皆無だった。
しかし、僕の家はお店を経営していたので、商売の必需品として黒電話があった。
本土へ就職した沖縄の青年が、家族に連絡する場合、普段は手紙だったが、急用等の場合は公衆電話であった。
実家に電話がない青年たちは、我が家の黒電話を介して家族と連絡を取り合った。
【 そんなある日の風景 】
晩御飯の最中に黒電話が鳴る。
父親 :「ハイ、こんばんわ ○○商店です。」
青年A:「(屋号)の○○だけど、母親を呼んで来てもらいたい。10分後にこっちから電話する。」
父が僕に、「どこどこの誰々を呼んできて」
僕は、食事を中断し、懐中電灯を持ちハブと出会わないことを祈りながら、その家へ急ぐ‥。
【 まさかやー!なことも 】
いつものように黒電話が鳴る。父が不在で僕が黒電話をとる。
僕:「ハイ、○○商店です。」
(青年??は、10円玉が足りないのか、早口の方言で喋ってくる。
青年??:「(僕の名前)○○、ワッターオッカー ユリコー アトゥカラ デンワ スークゥトゥヤ」
僕:「 ・・・ イヤーヤ マーヌ ターヤガ?‥」
そんな、ポッテカスーも実在しました。😄
(※ 文章の中での『部落』と言う用語は、沖縄では今でも自分の出身地や住居地域を意味し、差別用語ではありません。念の為!)